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「福島第一原発事故と日本人」
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2012 年6 月26 日

一橋大学イノベーション研究センター
特任教授 所 源亮

地球は46億年前に太陽とともに宇宙の塵からできました。宇宙の塵は、太陽より大きな星々がその一生を終える時に起した超新星爆発と星の内部の核融合で作られた元素がその源です。我々は、その宇宙の塵から生まれました。ですから我々は星の子です。最初は、地球はとても生命が宿るような環境ではありませんでした。何億年というとてつもなく長い期間を経てようやく、地球は大気と磁力線をつくりそれによって有害な宇宙線(放射線)を防御できるようになり、さらに放射線を発する元素(原子)を安定させ、生命を繁栄させることができるようになりました。原子力発電は、せっかく安定した原子を再び崩壊させて原子を不安定にすることによって生まれるエネルギーです。同時に地球の自然活動ではつくられることのないウランより重い元素をつくりだしています。不都合なことに、我々はこの原子の中核にある原子核の崩壊を止める術を持っていません。我々は、制御する能力がないから、原子力発電に絶対に手を出してはなりません。

福島第一原発の事故後、日本にある54基すべての原発が停止状態になりました。しかし、このままで日本の安全が確保された訳ではありません。何故なら、日本は今まで原発を40年以上にわたり稼動してきたからです。そのゴミの管理を、今の国家予算の数百倍という規模の厖大なお金と数十万年という時間をかけて、これからしていかなくてはなりません。まともに管理すると国家は破綻します。既に出してしまったゴミは、使用済み核燃料という直接のゴミだけでも、最大限に過小評価しても、プルトニウム239(50トン以上)、ウラン235(50トン以上)、死の灰(150トン以上)、ウラン238(14,250トン以上)というとんでもない量です。とても日本国そして日本国民が生命的にも経済的にも負担できるものではありません。

経済ではなく生命が優先されることは当たり前の公理です。議論の余地はありません。それにも拘わらず原発に関し経済が優先されるかのような議論が横行しています。その理由は、原発から産出されるゴミに対する危険性が極端に過小評価されているからです。加えて、原発の経済性について現実離れした計算が何の検証も無く受けいれられているからです。まともに外部経済コスト(ゴミの処理費)を入れて原発による電気代の原価計算をすると原発の電気コストは、7.3〜10円/kWhでなく約1,700円/kWhとなります。政府が発表した2085年までのコストを使って試算するとその10倍の約17,000円/kWhにもなります。外部経済コストを発電のコストに組み入れると原発が経済的に全く無意味であることがわかります。何故このような自明のことが無視されているのでしょうか。何故、外部経済コストが原発の原価に入っていないのでしょうか。答えは簡単です。それは、この外部経済コストが電力会社の負担でなく国民の負担となっているからです。日本の電力会社は、発電の収益の部分だけに参加し日本国民(特に未来の世代)は主に発電のコストの部分に参加しています。したがって、原発を推進することは、日本の未来の世代にとって何のメリットもありません。日本の未来の世代は、我々の世代が生み出した原発のゴミの管理のために生まれてくるといっても過言ではありません。要するに経済の優先を主張する人々は、未来の世代の犠牲の上に自分の欲を築いていることに気づいていない人々です。

福島第一原発事故の規模は、チェルノブイリ事故の100倍、或いは広島原爆の100,000倍、或いは528回にも及ぶ全大気圏内核実験の100倍に達する可能性があります。福島第一原発の事故時に存在した総放射線量は、ある程度正確に算出できます。東電と政府の発表では、7.2億テラベクレルです。チェルノブイリから放出されたと推定されている総放射線量は、5.2百万テラベクレルです。したがって、福島第一原発の事故は、チェルノブイリの100倍以上(約138倍)になる可能性があります。福島第一原発の実際の放出量は、事故を起こした原発の内部状況が良くわからない為、推測するしかありません。

昨年12月15日のNATUREに、鳩山前総理と平智之議員の連名で、掲載されたペーパーによると、福島第一原発の三号機は水素爆発ではなく使用済み核燃料プールの核爆発である可能性が高いことが指摘されています。NATUREは、非常に格式の高い科学誌です。この指摘には、科学的な根拠が提示されています。

核爆発が事実だとすると、福島第一原発からすでに環境に放出された放射線量は、政府が発表した総放射線量の0.15%(広島原爆の29.6発分という発表)ではなく限りなく事故当時福島第一原発にあった7.2億テラベクレルに近い数値になります。これは絶望的なことです。チェルノブイリの10分の1どころではありません。チェルノブイリ原発事故の100倍近くになります。実際、日本各地の放射線汚染の数値を詳細に分析すると、このことが裏付けられると思います。ほとんどが海洋流出したといわれていますが、海洋汚染は調査することができません。したがって、継続的に魚の汚染調査をすることが重要です。地下水汚染の可能性も大きく、大変な問題ですから今後徹底した追跡調査が必要です。

このような状況にあって我々が実行しなくてはならないことは、先ず本当の数値を把握することです。同時に、その数値の持つ危険性を正しく認識することが必要です。少なくとも各個人が自らの外部被曝と内部被曝の「自己許容量」を決める事が重要です。政府が安全という数値の鵜呑みは危険です。極めて遺憾ですが、政府が正しい数値を我々に伝えているとは思えません。逆に隠そうとしているとしか思えません。

外部被曝は、幸い世界的に共通した認識があります。従って、最大年間1ミリSv(0.114マイクロSv/時)以上の被曝を受けるような環境に滞在しないことを心掛けるべきです。これで、宇宙からくる自然被曝0.39ミリSv/年と大地からくる自然被曝0.48ミリSv/年、そして平均的な食物(0.29ミリSv/年)と吸引(1.26ミリSv/年)を合わせた被曝の世界平均(2.42ミリSv/年)を少し上回るレベルの2.55ミリSv/年になります。

これからの最大の懸案は、内部被曝です。内部被曝の上限は、セシウム137では一生涯で21,532(10,766ベクレル×2倍)ベクレルが上限だと思います。これは、以下の計算によって算出されています。内部被曝の危険性は、外部被曝の1,000倍と仮定します。外部被曝の7,000ミリSv/年は、一度に浴びると死亡するというレベルです。7,000ミリSvを1,000で割ると7ミリSvとなります。つまり、セシウム137を7ミリSv身体に溜め込む(飲食によって)と常時7,000ミリSv/年の外部被曝を浴びていることと同じことになります。この7ミリSvをベクレル値に換算するには、7ミリSvをECRR(欧州放射線リスク委員会)の実行線量係数である0.00065で割ります。すると10,766ベクレルが得られます。体内からの排泄(50%)を考慮すると、10,766ベクレルの2倍の21,532ベクレルの摂取をすると、常時その半分の10,766ベクレルが体内にあるという状態が想定されます。

我々は、一年間に約1,000kgの飲物と食料を摂取しています。したがって、約20ベクレル/キログラムの飲食物を毎日約3kg一年間摂取し続けると21,532ベクレルに達します。したがって極力放射性物質汚染している可能性のある飲食物を口にしないように心掛けなくてはなりません。できれば測定済みで安全性が確認されたものに限定して飲食することが望まれます。

ところが日本政府は、今(2011年12月)までのところ、全国で僅か212台の検査機器しか配置していません。これで一日僅か661検体(80%は牛肉)の検査をしています。チェルノブイリでは今でも一日30,000検体の検査を実施しています。ですから日本は、今はほとんど無検査状態です。しかも、一番危ないストロンチウム90とかプルトニウム239とかトリチウムなどは、殆ど検査していません。ですから、自衛的に自主検査をしない限り自己防衛はできません。

現政権は、ひどいと思います。全く安全性の根拠もなく大飯原発の再開に向かっています。保安院(日本国政府)は、不都合な大飯原発のF-6破砕帯の北側断面図(せり上がりと段差が発見されています)を伏せています。これは重大なことです。大飯原発の安全を担保する基本的なところです。従って、この事実を隠すという一点だけでも、現政権に「国民を守る」という決意が欠落していることがわかります。海水ポンプを水害から守る防潮堤はできていない、災害時の前線基地はできていない、フィルター付きのベント設備は設置していない、住民避難道は未整備、独立した規制庁は無いなど諸々の基本的な安全性を担保するインフラストラクチュアが未整備です。これでどうやって「国民の生活を守る」などと言えるのでしょうか。

原発に反対を表明しないで沈黙をしている自民党も同罪です。200名を超える自民党の議員で唯一原発反対を表明しているのは、河野太郎議員一人です。さらに自民党は、原子力の憲法といわれている「原子力基本法」の2条(下線部)に“安全保障に資する”という文字を強引に(閣議決定の時はなかった)入れました。2条に追加された一項とは、原子力利用の「安全確保」は、「国民の生命、健康及び財産の保護、環境の保全並びに我が国の安全保障に資することを目的として行う」です。この追加は、明らかにプルトニウム239の軍事利用を想定していると考えられます。

野田首相は、何を根拠に原発の電気代は安価と考えているのでしょうか。如何なる根拠に基づいて大飯原発の再開が国民生活を守ることになるというのでしょうか。また全責任をとるといいますが、例えば最も大切な金銭的な責任は考慮されているのでしょうか。福島の除染(推定除染費は、750兆円。全汚染地域の除染には約5,500〜6,500兆円かかります。)ですら全く出来ていないのに、どのような責任をとるというのでしょうか。それとも単なる口頭の謝罪を想定しているのでしょうか。

日本は物理的にひどい国になってしまったというのが率直な思いです。日本学術会議が原子力委員会の依頼によって行った2年間にわたる議論に漸く(2012年6月)一つの結論が出されました。その結論は、2000年に国が制定した原子力の関連法に基く地層処分(ガラス固化体を地下300メートル以上の地層に埋める)では安全性が確保されないということです。一言でいうと、打つ手がないから、問題を先送りするということが結論です。“原発から出るゴミの処理方法は全く無い“と言って、日本の研究者の最高レベルの機関がさじを投げたということです。

この調子では、例えば、我々の生命線である飲料水が既に汚染されていても何の対策も取られない可能性が高いと思われます。“臭いものには蓋をする”そして“大きな問題は先送りにする”というのが日本の最高学府(日本学術会議)が示してくれた道筋です。こんな調子ですから、安全と思っている東京をはじめとする関東・東北の水道水は、危ないのではないでしょうか。日本学術会議ですら手の施しようがないと明言している原子崩壊を地下水の中で軽減する(除染?)方法などありません。百歩譲ってもトリチウム、プルトニウム239、ストロンチウム90などの定期的な検査が実施され公表されない限り、水の安全は単なる幻想に過ぎないと思います。水に関する日本の新基準値(10Bq/g)は何故かアメリカの基準値(0.11Bq/g)の約100倍であることを認識すべきです。この基準に前述の危険な放射性物質は含まれていませんから、この基準は水の安全性を担保するものではなく気休めに過ぎません。

日本は、精神的にも腐敗傾向にあります。歴代の首相がすべて原発を推進してきました。その中で唯一人、原発(浜岡原発)を停止し、脱原発というビジョンを日本国民に示し、“日本国民を守る”ことを優先したのが菅前首相です。なのに、我々はその前首相一人に福島第一原発事故のすべての責任をかぶせ、スケープゴートにしようとしています。福島第一原発は、戦後の全政権(我々も含め)の責任です。その中で、国家の最高責任者であるから当然とはいえ、事故の処理と再発防止に向け先頭に立って行動をした人を非難する権利など誰にもないと思います。そして、その逆の行動をした(今もしている)東電、経産省役人、政治家、マスコミ、学者を称賛するのであれば、日本人はなんと心のない国民となってしまったのでしょうか。

今我々がすべきことは、現実から目を背けることではなく、直視することです。そして最も日本の近未来が現実となっているチェルノブイリの実情を正しく認識することです。自分を守るのは、国ではありません。自分です。



2012 年6 月26 日


一橋大学イノベーション研究センター
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